
<小西酒造西宮工場の跡地には”コーナン”が>
長女の引っ越しの帰りに、家内といっしょに23~24歳のとき住んでいた兵庫県西宮市に寄り道をしました。
家内に社会人時代の3年間を過ごした思い出の場所を見て欲しかったからです。
御世話になった小西酒造西宮工場の跡地には”コーナン”ができておりました。

<小西酒造白雪寮の跡地には自転車の”あさひ”が>
また三年間過ごした小西酒造白雪寮の跡地には自転車の”あさひ”が出来ていました。
下記はそのころの思い出を書いた文章です。私も若かったですね。
過去ログより
[野球]社会人野球の思い出(その1) 記2005年2月
今は去ること19~22年前のお話。
大学卒業後、好きな野球をやりたくて、社会人野球のチームを持っていた「山は富士、酒は白雪」でおなじみ(今の若い方はご存じ?)の兵庫県は伊丹市に本社がある小西酒造(株)にお世話になりました。小西酒造はそのころ生産量では5本の指に入るくらいの大きな蔵元さまでした。
近隣に工場があり、野球部は西宮工場に全員勤務しておりました。当時部員は監督・コーチも入れて20名弱だったと思います。勤務時間は朝の8時から夕方5時までなのですが、野球部はお昼から、宝塚市にあります専用グランドへ移動し、毎日夕方6~7時ころまで練習。当時、週休二日が採用され初めてきたころで、小西酒造も確かそうでした。※現在は西宮工場も宝塚にあったグランドもなくなってしまいました。
本来なら土曜日・日曜日とゆっくり休めるところですが野球部はそうはいきません。土日を利用し、オープン戦などがあり、月のうち、ほんとに休めるのはせいぜい1~2日。当時は若くて体力はバリバリありましたから、たいしたことなかったけど(といいながら、たまの休みは昼まで寝ておりました)けっこうハードだったんです。お給料はみんなと同じでした。確か初任給が額面で125000円。手取りがいろいろ引かれて7~8万円でした。

<小西酒造野球部時代 向こうに見える青い「白雪」の煙突があるところが西宮工場、今はコーナン>
住まいは工場のすぐそばにある「白雪寮」という寮に、野球部と剣道部のみんなと住んでおりました。寮費は安かったですね。助かりました。たしか食事代込みでたしか8000円だったと思います。お風呂がおっきっくて深くて気持ちよかったです。暖まりましたねえ。もう一回、あのお風呂に入りたいなあって思います。寮には蔵人さんも酒造りのシーズンにはやってきて、けっこうおじさん達とも仲良くなったりしました。
寮の御飯は食べ放題!だって仕事柄お酒はお米から出来てますんで!
(食べてたお米は酒米だったのかな?)お茶碗ではなくて、どんぶりでした。最低2杯は食べましたね。ですが・・・おかずはいまいちでした・・・(こんなこといってごめんなさい!)ですから、「ふりかけ」や「シーチキン」や「江戸むらさき」なんかをを買ってきたりして、とにかくお腹いっぱいにしておりました。 <続く>
市川祐一郎拝 (画像は寮の部屋で剣道部同期岡田くんと 1986,3,26)

<小西酒造 友人岡田くんと(岡田君は小西酒造の剣道部)>
乱ちゃんです。 (2005/05/22 08:06:20)
いっちゃん、元気で頑張っているようですね。誰かわかるかな・・・本当にご無沙汰しております。私から連絡します楽しみに待っててください。
[野球] 社会人野球の思い出(その2)
その前に、ワールドカップ最終予選、対北朝鮮戦での勝利。おめでとうございます。最後の最後まであきらめない姿勢。今のチームは本当にロスタイムに強い!野球いえば、9回裏の攻撃がいつもサヨナラを生むように映ります。ぜひ次のゲームもがんばれニッポン!!
さて、昭和58年に小西酒造へ入社。野球部の同期入社は6名。私だけ大卒だったのですが、そのなかでも超高校級だったのが物袋(もって)邦広君でした。そのバッティングはすごいのなんの。フリーバッティングでは大半が柵越え。世の中にはすごいのがいるな!とたまげました。入社まもない公式戦ですぐに3番に座り、たしか3試合連続ホームランを打つなど、大活躍でした。
私の本業は内野手で主にショートをやっていたのですが、シートバッティングで物袋君の打つそのショートへくるゴロが、ぶぉーんと音を立ててくるんですよ。そんなの今までの高校・大学野球では経験なかったので、内野手の心構えとして、ボールを怖がってはいけないことになってはいるのですが、実際めちゃ怖かったです。腰引いちゃいましたよ。カントクごめんなさい。当時監督は笠原さんという方がご指導くださっておりました。今でも物袋君とは年賀状のやりとりをしており、当時とても気が合いました。
入社式の前から(たしか2月くらいから)アルバイトという形ですでに寮に入っていて、仕事して、練習という毎日でした。なかでも特にお世話になったのが当時マネージャーでした堀川佳吾さんでした。良き兄貴と今でも仲良くしていただいております。九州支店長を歴任後、現在は小西酒造の本社勤務をなさっておいでです。
採用テスト(セレクション)の時からずーっとお世話になりっぱなしで、当時ハイハイしていたお嬢さんが今では幼稚園の先生となり活躍しております。堀川さんには結婚式にもご家族できていただきました。一週間に一度は堀川さんのお宅で御飯をよばれておりました。本当にお世話になりました。西日本にはまったく身寄りがなかったので、心強かったです。ありがとうございました。
市川祐一郎拝 (寮の前で1985年の春の写真。向こうに工場の青い煙突が見えます)
幸せの酒 銘酒市川 店主市川祐一郎